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EddyMerckx(エディーメルクス) hageland(ハーグランド) フレームセット 2020年モデル
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HAGELAND(ハーグランド)はプロサイクリストたちも勝利を狙う「ハーグランド横断レース」というベルギーでも知名度の高いグラベルレースにちなんだグラベルロードだ。この大会はメルクス生誕の地でもあり、国内有数のグラベルロケーションが広がるメーンセル=キーゼゲムで行われているという。そんなベルギーのグラベルシーンを牽引するレース名からこのバイクのモデル名が採用された。

スチールフレームのHAGELANDは12mmスルーアクスルのディスクブレーキ仕様。フォークはカーボンレッグ、アルミコラムで、BBはBSAと整備性を考慮したスペックとなっている。カラーはGrey/Anthracite。サイズはXS、S、M。フレームセット価格は145,000円(税抜)。

EddyMerckx(エディーメルクス) eeklo70(エークロ70) フレームセット 2020年モデル
完売しました。

[エークロ70]

数々のロードレース・トラックレースにおいて勝利を欲しいままにしているエディ・メルクスにとってシクロクロスでの勝利はどうしても獲得したいものであった。

エークロで行われた2マンシクロクロスは、その名の通り二人一組で出場するシクロクロスレース。 合計20組のペアが出場し、皆、シクロクロス選手とロードレース選手がタッグを組んでいた。 エークロのレースは国内外から非常に注目を集めた。 それもそのはずで、スタートラインに世界チャンピオンが並ぶシクロクロスレースなんて他にはなかった。

メルクスと組むのはエリック・デ・フラーミンク。開催地エークロ出身のシクロクロスの名手だ。 レース中、チェーンが外れるトラブルに見舞われたメルクス。 しかし、逆境にもめげず、2位につけていたフランス・フェルベークの果敢のアタックをすべてかわし続け、 最終的には半周差をつけて鮮やかにゴールを決めた。

「エークロ70」はメルクスがシクロクロスレースで初優勝を飾った戦地エークロにちなんでいる。

[DATA]1970年1月17日/2マン・シクロクロスレース/開催地エークロ(ベルギー)/距離20周34km

※画像は完成車のサンプルです。フレームセットでの販売になります。

EddyMerckx(エディーメルクス) criterium(クリテリウム) CLARIS完成車 2020年モデル
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[Criterium]

80年代終盤に発売が開始された”クリテリウム”はメルクスのレーシングバイクと同じ高品質でありながら、多くのサイクリストが求めたアグレッシブにならないジオメトリー。
その”クリテリウム”をスタイリッシュなアーバンライドに適した形に、高反応でありながら快適な乗り心地はスタイルを犠牲にしたくない通勤サイクリストのために。

EddyMerckx(エディーメルクス) strada(ストラーダ) ULTEGRA Mix完成車 2020年モデル
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[ストラーダ]

エディは1980年に彼自身の工房をオープン、彼のスチールフレームはレーシングバイクの頂点に立ちました。 皆の憧れとなった彼のフレームを多くの人の手に届くようストラーダを発売。 最上位モデル同様のクオリティーを低価格で実現させること、それがこのモデルのキーワードです。 スチールフレームモデルを再販するにあたり、世界的なフレームビルダーとしての過去を持つ エディとのつながりをより明確にするために、このモデルは生まれました。

EddyMerckx(エディーメルクス) blockhouse67(ブロックハウス67) フレームセット 2020年モデル
完売しました。

[ブロックハウス67]

メルクスのグランツールにおける初勝利の地「ブロックハウス」。 イタリア中部にそびえるアペニン山脈にあるブロックハウスが第50回のジロ・デ・イタリア第12ステージのゴールであった。 山岳風景の続く、総距離220kmの内、9割以上が上り坂という過酷なレイアウト。

当時のメルクスはプジョーというチームに加入して2年目。 当時のメディアや評論家はメルクスのクライマーとしての才能を認めておらず、それどころか精神的強さやずば抜けた才能までも過小評価する者もいたほどだった。

レースが動いたのはスタート後7時間が経過したあたりだった。先頭集団は長い2つの上りを終え、ブロックハウスへと続く最後の上りに突入していった。 ゴール手前2km、イタロ・ジリオーリが先頭集団の追随を振り切って逃げを敢行。誰もがこの逃げは決まったと思ったが、メルクスはイタロ・ジリオーリに食い下がった。 彼は約1km並走した後、凄まじい速さと軽快さで山頂ゴールを決めた。

「ブロックハウス67」はメルクス初の山頂ゴール勝利の地、ブロックハウスを由来とするアルミフレームバイク。 由来の通り、ヒルクライムにも適した軽量アルミバイクとなっている。

[DATA]1967年5月31日/第50回ジロ・デ・イタリア 第12ステージ/カゼルタ~ブロックハウス 220km/Time:7:25:09

※画像は完成車のサンプルです。フレームセットでの販売になります。

EddyMerckx(エディーメルクス) lavaredo68(ラバレド68) ULTEGRA Mix完成車 2020年モデル
完売しました。

1968年のジロ・デ・イタリア、第12ステージはイタリア北部アルプス山脈の一角にある岩山トレ・チメ・デ・ラバレドを目指す山岳コース。当日の天候は最悪、雨と雪の中でのレースであったが、ジロ・デ・イタリアの中でも歴史に残る戦いとなった。

6人の先行グループに9分の遅れをとっていたメルクスは驚異的な追走でグループを抜き去り、2位のジアンカルロ・ポリドリに40秒差つけてフィニッシュ。

そのジロ・デ・イタリアでは、ベルギー人初の勝者となった。メルクスにとってグランドツアーでの初勝利でもあった。

「ラバレド68」は1968ジロ・デ・イタリアの中でもメルクスにとって最も印象的なレースだった第12ステージのフィニッシュ地点にそびえるトレ・チメ・デ・ラバレドにちなんだグランフォンドバイク。

[DATA]1968年6月1日/1968ジロ・デ・イタリア 第12ステージ/ゴリジア~トレ・チメ・デ・ラバレド/走行距離:213km

EddyMerckx(エディーメルクス) lavaredo68(ラバレド68) フレームセット 2020年モデル
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1968年のジロ・デ・イタリア、第12ステージはイタリア北部アルプス山脈の一角にある岩山トレ・チメ・デ・ラバレドを目指す山岳コース。当日の天候は最悪、雨と雪の中でのレースであったが、ジロ・デ・イタリアの中でも歴史に残る戦いとなった。

6人の先行グループに9分の遅れをとっていたメルクスは驚異的な追走でグループを抜き去り、2位のジアンカルロ・ポリドリに40秒差つけてフィニッシュ。

そのジロ・デ・イタリアでは、ベルギー人初の勝者となった。メルクスにとってグランドツアーでの初勝利でもあった。

「ラバレド68」は1968ジロ・デ・イタリアの中でもメルクスにとって最も印象的なレースだった第12ステージのフィニッシュ地点にそびえるトレ・チメ・デ・ラバレドにちなんだグランフォンドバイク。

[DATA]1968年6月1日/1968ジロ・デ・イタリア 第12ステージ/ゴリジア~トレ・チメ・デ・ラバレド/走行距離:213km

※画像は完成車のサンプルです

EddyMerckx(エディーメルクス) lavaredo68(ラバレド68) Disc フレームセット 2020年モデル
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1968年のジロ・デ・イタリア、第12ステージはイタリア北部アルプス山脈の一角にある岩山トレ・チメ・デ・ラバレドを目指す山岳コース。当日の天候は最悪、雨と雪の中でのレースであったが、ジロ・デ・イタリアの中でも歴史に残る戦いとなった。

6人の先行グループに9分の遅れをとっていたメルクスは驚異的な追走でグループを抜き去り、2位のジアンカルロ・ポリドリに40秒差つけてフィニッシュ。

そのジロ・デ・イタリアでは、ベルギー人初の勝者となった。メルクスにとってグランドツアーでの初勝利でもあった。

「ラバレド68」は1968ジロ・デ・イタリアの中でもメルクスにとって最も印象的なレースだった第12ステージのフィニッシュ地点にそびえるトレ・チメ・デ・ラバレドにちなんだグランフォンドバイク。

[DATA]1968年6月1日/1968ジロ・デ・イタリア 第12ステージ/ゴリジア~トレ・チメ・デ・ラバレド/走行距離:213km

※画像は完成車のサンプルです。フレームセットのみの販売になります。

EddyMerckx(エディーメルクス) sanremo76(サンレモ76) ULTEGRA完成車 2020年モデル
完売しました。

春の訪れを告げる「ミラノ~サンレモ」すでに107回(2016年時点)の開催を数えるクラシックレースで前人未到の最多記録を今なお保持するのはメルクスである。

彼のミラノ~サンレモ初勝利は1966年。メルクスがプロ選手になった翌年だ。 ミラノサンレモのコースは比較的平坦でスプリンター向けのコースレイアウト。 しかし、ゴール目前には表彰台に大きな影響を与える「ポッジオ」(平均勾配3.7%、最大勾配8%)という丘が君臨しメルクスの最多勝利の物語に度々登場する。

1976年、ポッジオに差し掛かったメルクスを含む先頭集団は、突然のメルクスのペースアップを容認する。 メルクスはポッジオでリードを広げると、以降の幾度かのライバルのアタックをものともせず無尽蔵のスタミナを武器にゴールに飛び込んだ。

「サンレモ76」はメルクスが最多記録を保持するスプリンターズクラシック「ミラノ~サンレモ」を由来としたレーシングフレーム。

[DATA]1976年3月19日/ミラノ~サンレモ 第67回大会/288km

※画像はDiscブレーキ式完成車のカラーサンプルです。商品はリムブレーキ式です。

EddyMerckx(エディーメルクス) sanremo76(サンレモ76) DISC ULTEGRA完成車 2020年モデル
完売しました。

春の訪れを告げる「ミラノ~サンレモ」すでに107回(2016年時点)の開催を数えるクラシックレースで前人未到の最多記録を今なお保持するのはメルクスである。

彼のミラノ~サンレモ初勝利は1966年。メルクスがプロ選手になった翌年だ。 ミラノサンレモのコースは比較的平坦でスプリンター向けのコースレイアウト。 しかし、ゴール目前には表彰台に大きな影響を与える「ポッジオ」(平均勾配3.7%、最大勾配8%)という丘が君臨しメルクスの最多勝利の物語に度々登場する。

1976年、ポッジオに差し掛かったメルクスを含む先頭集団は、突然のメルクスのペースアップを容認する。 メルクスはポッジオでリードを広げると、以降の幾度かのライバルのアタックをものともせず無尽蔵のスタミナを武器にゴールに飛び込んだ。

「サンレモ76」はメルクスが最多記録を保持するスプリンターズクラシック「ミラノ~サンレモ」を由来としたレーシングフレーム。

[DATA]1976年3月19日/ミラノ~サンレモ 第67回大会/288km